川面町地車には嘉永7年(1854)の棟札が残り、同時に金田町地車も手がけていた吹田の大工並河長兵衛兼廣によって建造されたことが知られます。
この地車は、台座に彫刻を施すことや、中央通柱に加え後部通柱にも彫り物をいれる脇障子を構え二対とするなど、市内では例がない独自の意匠がみられます。また棟端につく三面の鬼板のうち前屋根は獅子面としますが、後屋根を波涛と向き合う竜の彫り物としていて、市内では数少ない手法が用いられています。
川面町地車は、細かい彫り物を随所にに配するなど、建築的形態から彫刻が前面に出て工芸化に向かう地車建造の様子をよく伝える作品です。
吹田市教育委員会
川面町自治会
泉殿宮(いづどのぐう) |
濱の堂地車は、正面の欄干部を手摺とせず「富士の巻狩」を題材に採る彫刻をはめ、脇障子は側柱が欄干の親柱を兼ねる仕様に造られ、棟端の鬼板を獅子面とせず「濱」の字を彫り込む獅子口にするなど市内の他の地車には斬新な意匠がみられます。
部材は細く対照的に彫刻は大きく彫りあげたものが多いという構成をとりますが、上層部は丈を高くし装飾をおさえて簡素にまとめ、下層部では縁を支える肘木を多用することなど、全体に建築的な構成をはっきりみせる造りとなっています。
彫り物に主体を移す傾向がみられる地車にあって、濱の堂地車は、あえて建築に主体をおく古風さを意識して建造されたとみられます。
吹田市教育委員会
浜の堂自治会
泉殿宮(いづどのぐう) |