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■境内案内
■ 史跡 泉殿霊泉
(本殿左側)
第56代清和天皇貞観(じょうがん)11年(西暦869年)当地久しく旱魃(かんばつ)、草木は色を変じ、大河の流れも通わず、天下疫病流行し、諸民悉(ことごと)く枯渇(こかつ)に苦しむ。播磨(姫路)の広峯神社より王城鎮護(おうじょうちんご)の守り神として[祇園八坂神社]の御祭神として迎えられる 「建速須佐之男大神」(たけはや すさのお の おおかみ)]の御神輿が、しばらく当宮にお立ち寄りになられた。大神に祝詞を奏上し、獅子頭を激しく振り、歎きを告げ、
篤(あつ)く雨を祈ると、忽然と清泉土中より湧漲(ゆうちょう)した。
立ち処に、里人渇(かつ)を免(まぬ)がれ、田畑隈(くま)なく潅水(かんすい)した。
その後、鳥居を築き 「泉殿霊泉」と称え厚く崇敬を集める。
明治22年(西暦1889年)に「泉殿霊泉」より湧きだす 水を ドイツミュンヘンに送り、これビール醸造に適水との保証を得、当宮隣接地に同水系の湧水を以って、東洋初のビール醸造工場(現、アサヒビール叶%c工場)建設の逸話がある。
その後、近隣の都市化に伴い上水道は普及し、かつての広々とした水田がほとんど姿を期したのを見届けるかのように、昭和30年代後半に、霊泉は地中奥深くに水脈を移し、今は、湧水していない。
■ 万国博覧会元柱
(本殿右側)
日本万国博覧会は、「人類の進歩と調和」をテーマに、昭和45年千里丘陵において開催され、183日の会期中に6400万人を超える観客を迎え、盛況のうちに終了した。
会場の建設に先立ち、昭和42年3月15日に大地鎮めの神事による起工式が行われ、翌、昭和43年3月15日には、標記の立柱祭が古式ゆかしく荘重に斎行され、各施設や展示館のスタートを飾った。
当日、祭儀に使用された元柱(木祖50年杉)は、宮司が斎主を勤めた「泉殿宮」の境内に奉建し、会期中当宮において日本万国博の無事成功を祈念してきた。
万博30周年に当たり、日本万国博が掲げた科学の進歩と人間尊重の精神が、今後とも永く人々に受け伝えられることを願うものである。
昭和45年「人類の進歩と調和」をテーマに開催された日本万国博覧会会場建設の地鎮祭・立柱祭は当宮宮司が斎主をお仕え申し上げた。祭儀に使用された元柱(木曽50年杉)は、当宮に奉建され無事成功を祈念してきた。
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